「河を治める者が国を治める」-。巨摩山地から流れ出る御勅使川と釜無川が合流し、激しくぶつかり合い、度重なる洪水に悩まされてきたこの扇状地で、信玄が約20年の歳月を費やしたという、暴れ川の水を分け、流れを弱め、洪水を防ぐ大事業。残念ながらその面影は今はわずかしかありませんでしたが、流れを一望する現地の案内板からは治水は国の基という昔も今も変わらぬ人と自然の姿が感じられまた。
河原にあるのは、現在の堤防とは異なり、不連続に重複して配置された「出し堤」の前に設置して水の流れを弱める「聖牛」と呼ばれる構造物。我が国の治水技術の始祖とも言われる信玄の真骨頂で、遊水地の原型となった霞堤(かすみてい)はここより下流で、バスのコースから外れて残念ながら見学できませんでした。
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