それにしても、思うのは「伝統」の持つ復元力です。
もし見付に大まつりの大名行列や舞車がなく、祇園祭の渡御や還御がなかったら、長く続いた自粛や巣ごもりから、人々は何に復活のきっかけを見つけることができるでしょうか―。
自分が住む団地の中から、ただ仕事から帰って、社会の不安におびえながら家族と過ごす団地の中から、どこに再起のきっかけが見つかるでしょうか。
それはたぶん、戦乱や疫病におののきながら短い一生を生きた、いにしえの人々にはなおさらだったのではないでしょうか。
まちづくりについて意見を交わすと、「宿場通り」なんて今の見付のどこにあるの?という声も聞かれます。
それを、人々の心の中にある、と言ったら言い過ぎでしょうか。私自身、三度のメシより祭り好き、というわけでは全然ないのに、雨の中、ずぶ濡れになって無言のまま神輿を引く宵祭りの列を眺めながら、そんな思いに駆られました。
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